一緒に刑事裁判に臨んだ依頼者から、
「傍聴席にたくさん人がいて驚いた。なぜ望んでもいないのに公開されなければならないのか。」
このような問いかけを受けることがあります。
刑事裁判は、基本的に公開の法廷で実施されます。
京都地裁の場合、裁判所の入り口を入ると、右側にカウンターがあります。
そこで、その日開かれる裁判のリストを閲覧することができます。
法廷の場所、時間、事件名、当事者名などが載っており、訪れた人は誰でもそれらの情報を知ることができます。
もちろん、傍聴席の数には限りがあり、満席の場合には見ることができません。
今は、感染症対策で傍聴席の数も制限されています。
しかし、基本的には誰でも自由に裁判を傍聴することができます。
特に、夏休みなどの長期休暇期間には、裁判傍聴に訪れる学生の姿も多くみられます。
自分が刑事裁判を受けるということを考えると、あまりその姿を他人に見られたくないと思うかもしれません。
刑事裁判を受ける人の家族としても、自分の家族が色々な人から見られるようで、良い気持ちはしないかもしれません。
ではなぜこのようなルールになっているのでしょうか。
もちろん、刑事裁判を受ける人への嫌がらせや、見せしめといった、はるか昔の時代にあったような理由ではありません。
実は、「裁判の公開」というルールは、憲法で定められています。
憲法で定められているということは、それだけ重要なルールだということです。
一般の市民を刑事裁判にかける、そして、有罪となった場合に刑罰を科す。
これは、国家が私たち一般市民に対して行使できる強力な作用です。
歴史的にも、この強力な国家権力が誤って行使された例は世界中でたくさんあります。
だからこそ、この国家権力を行使するための手続(刑事裁判)を、国民にオープンな状態で実施する必要があるのです。
一般市民が入れない場所で密かに裁判が行われることになれば、不公正な手続が実施されても誰も指摘することができません。
裁判を公開するということには、手続が適正に行われているか、国家による恣意的な運用がされていないか、これを私たち市民が常に監視するという意味があるのです。
このような考えから、憲法は、刑事裁判が誰にでも開かれた公開の法廷で行われなければならないということを定めているのです。
言ってみれば、これは刑事裁判を受ける人の権利でもあり、国の在り方にかかわる重要な制度でもあるということになります。
裁判員裁判が普及し、一般の人が傍聴人としてだけではなく、判断者として法廷に入ることになりました。
それまでの刑事裁判は、一般の社会から隔絶された世界の話というイメージがあったかもしれません。
しかし、裁判員裁判の導入によって、少しずつそのイメージも是正されてきていると感じます。
私たちの社会の1つの営みである刑事裁判の現場でなにが行われているのか、裁判官、検察官や弁護士が、そこでどのような活動をしているのか、是非興味を持って監視をしていただきたいと思っています。
皆さん自身が、裁判員に選ばれる日を待つことはありません。
ぜひ、積極的に法廷に足を運んでほしいと思います。
私個人としては、現在の「裁判の公開」は決して十分に実現されているとは思っていません。
証拠調べの内容は時にパーテーションで遮断され、紙のメモしかとることができず、限られた傍聴席に入れなければ裁判を見ることもできません。
今後、この「裁判の公開」の本当の意味での実現に向けた活動もしていきたいと思っています。